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東京地方裁判所 平成3年(行ウ)92号 判決

原告

奥苑ふみ

右訴訟代理人弁護士

堤浩一郎

水口洋介

高橋宏

三嶋健

小口千恵子

被告

地方公務員災害補償基金東京都支部長 鈴木俊一

右訴訟代理人弁護士

大山英雄

主文

被告が原告に対してなした昭和六二年一〇月八日付け療養補償不支給決定処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文と同旨

第二事案の概要

本件は、公立の保育園に給食調理員として勤務していた原告が調理作業中に頭部等に落下した俎板によって頭頸部外傷を負い、この傷病につき公務災害として療養補償給付を受けていたところ、被告は、原告のなしたその後の療養補償給付請求に対し、右傷病は既に治癒していたとしてこれを支給しない旨の処分をなしたので、原告が被告に対し、右傷病はいまだ治癒していなかったとして右処分の取消を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  原告(昭和二三年九月二四日生)は、昭和六〇年三月一日、品川区に調理員として採用され、同区立中延保育園に配属され給食調理員として勤務(勤務時間は午前八時四五分から午後五時一五分まで)していた。

2  ところが、原告は、昭和六二年二月二八日午後二時五五分ころ、同保育園調理室において調理作業に従事中、たまたま同保育園付近での道路工事による振動により、移動式調理台の上に立て掛けてあった俎板(但し、〈証拠略〉によると、この俎板は重量が約三・二キログラム、縦が約三〇センチメートル、横が約六五センチメートル、厚さが約二・五センチメートルであることが認められる。)が約四〇センチメートル上方から滑って落下し、ガス台下の戸棚からミルクを沸かす鍋を取り出すためにかがんでいた原告の後頭部、頸部及び肩部に当たった(以下「本件被災事故」という。)。

3  原告は、同日午後四時三〇分過ぎころ、右保育園近くにある旗の台脳神経外科医院(以下「旗の台医院」という。)医師沖野光彦(以下「沖野医師」という。)の診察を受けたところ、同医師は、原告の傷病名を頭頸部外傷(頸肩腕症候群及び筋肉痛)と診断し、内服薬を投与して帰宅させた。

そして、原告は、同年三月三日から欠勤して同年四月一六日まで通算して一一回旗の台医院に通院した。

4  原告は、右の間の同年三月一三日付けで被告に公務災害認定請求をなし、これに対し被告は、同月二四日付けをもって、原告の頭頸部外傷を公務上の災害と認定した。

なお、被告は、本件被災事故以前に原告が基礎疾病を有していたとは認めていない。

5  そして、原告は、同年四月一六日から同年六月中旬まで通院に便利な自宅に近い木村病院医師木村佑介(以下「木村医師」という。)の診療を受けた。

木村医師は、原告の傷病名を右後頭部打撲及び頸椎捻挫と診断した。

6  原告は、同年四月一六日から同年五月末日まで欠勤し、同年六月一日から出勤するようになったが、就業時間は、同日から同月一七日までは二時間、同月四日からは四時間とした。

そして、原告は、同月一六日から品川区役所職員課健康管理担当職員坂本修の勧めにより医療法人社団港勤労者医療協会芝病院(以下「芝病院」という。)医師渡辺靖之(以下「渡辺医師」という。)の診察を受け、同医師から内服薬の投与等の治療を受けた。

7  ところが、被告は原告に対し、同年八月一〇日付けこのころ到達の書面をもって、原告の頭頸部外傷については「昭和六二年六月一七日をもって治癒したものと認める」旨を通知した。

被告が原告に対し、右通知をしたのは、原告の傷病は同年六月一七日には症状が固定し、同日をもって治癒したと判断したことによる。

8  しかし、原告は被告に対し、同年九月一八日、芝病院において受診した同年六月二三日の診療費六二〇〇円(以下、この診療行為を「本件診療行為」という。)につき療養補償の請求をした。

9  ところが、被告は原告に対し、同年一〇月八日付けをもって、原告の右診療費は頭頸部外傷が治癒した後の診療費であるから地方公務員災害補償法(以下「地公災法」という。)の定める診療補償の範囲に該当しないと判断し、右請求にかかる療養補償についてこれを支給しない旨を決定した(以下「本件不支給決定処分」という。)。

10  これに対し原告は、同年一二月八日、地方公務員災害補償基金東京都支部審査会に審査請求をしたところ、同審査会は、平成元年三月一八日付けをもって右請求を棄却する旨裁決をなした。

そこで、原告は、同年五月二六日、地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたところ、同審査会は、平成二年一〇月三一日付けをもってこれを棄却する旨裁決をなした。

二  争点

本件不支給決定処分にかかる本件診療行為が療養補償の支給対象となるか否かにある。

原告は、本件診療行為当時、本件被災事故による頭頸部外傷は未だ治癒状態、すなわち、〈1〉症状が自然的経過によって到達すると認められる最終の状態(症状の固定)に到達し、〈2〉原告が職場復帰可能な状態に健康を回復し、〈3〉原告に対しリハビリ治療(訓練的医療を含む。)を含む治療の必要性が全くなくなった状態にはなかった旨の主張をするのに対し、被告は、既に治癒状態、すなわち、一般的に認められている医療行為では現在の症状を将来に向かって軽減していく効果が期待できず、現在なされている医療行為を中止しても現在の症状が将来変化しないと見込まれる状態(症状固定)にあったのであり、原告の主張する治癒の概念は被災職員に職場に復帰できない程度の後遺症があるときは、当該被災職員は永久に治癒しないこととなり妥当でないと争っている。

第三争点に対する判断

一  原告の症状及び診療の経緯

1  旗の台医院における診療の経緯

証拠(〈証拠・人証略〉)によると、次の事実を認めることができる。

(一) 本件被災事故直後、原告は、約一分間その場に両手で頭を抱えたまま座り込んでしまい、頭部に打撲の痛み等があったことから、調理の後片付けをした後、前述のとおり、同日午後四時三〇分過ぎころ旗の台医院の沖野医師の診察を受けた。

原告を診察した同医師は、頭部レントゲン写真撮影(コンピューター断層撮影)をしたものの、異常は認められなかった。そして、同医師は、原告の傷病名を頭頸部外傷(頸肩腕症候群及び筋肉痛)と診断し、鞭打ち損傷による不定愁訴が続いているとして、内服薬を投与して、安静にしているように指示して帰宅させた。

(二) 原告は、翌日は日曜日であったので、自宅で横になって安静にしていたが、頭部の不快感が持続しており、ふらつきもあった。翌三月二日出勤して就労したものの、午前九時三〇分ころ、頭部から首辺にかけて電気が走るような痛みを感じ就労を継続することが困難となったので、沖野医師の診療を受けて帰宅した。

(三) 沖野医師は、同年三月中には原告を七回診療し、この間の病状につき、鞭打ち損傷による不定愁訴が続いており、改善はあるが引続き治療を必要とする旨の所見を述べており、この間、治療として頸部脊髄神経ブロック治療をなし、薬物として自律神経症用剤(グラダキシン錠)、筋弛緩剤(ムスカルムS)、消炎鎮痛剤(クリノリル錠)、消化性潰瘍用剤(ノイエルS)、鎮けい剤(ミオナール)、消化管運動改善剤(ナウゼリン錠)、精神神経用剤(メレックス錠)、パップ剤(パップサロン)を投与し、同月三日ころ腰椎穿刺及び髄液検査を実施したが、異常は認められなかった。

(四) 原告は、同年三月三日から欠勤し、そして、このころ沖野医師に後頭部の激しい疼痛と後頭部から肩にかけての重圧感を訴えており、これに対し、同医師は、尚約一週間の通院加療、自宅静養を要する見込みである旨の診断をなしている。

(五) 沖野医師は、原告を同年四月は同月一六日までの間に三回診療し、この間、薬物として前月とほぼ同様の消炎鎮痛剤、パップ剤、鎮けい剤、消化管運動改善剤、精神神経用剤を投与している。

2  木村病院における診療の経緯

証拠(〈証拠・人証略〉)によると、次の事実を認めることができる。

(一) 原告は、同年四月一六日から診療の便と理学療法を受けるため、自宅に近い木村病院に転医した。

同日、木村医師の診察を受けた原告は、同医師に対し、頭痛、吐き気、首及び肩の痛みを訴え、これに対し同医師は、原告の傷病名を右後頭部打撲、頸椎捻挫(但し、この診断内容は沖野医師と異なるものではない。)と診断した。

(二) その後も原告は、同医師に対し右と同様の症状を訴えており、これに対し同医師は、原告を同年四月中一〇回診療し、薬物投与のほか、湿布処置、牽引、ハイネック装置(但し、同月一八日ころ)による治療を実施した。原告は、右の牽引療法を九回受けたが、この直後は気分がすっきりするものの、二、三時間経過すると頭部が割れそうに痛くなり、吐き気も出てきたので、自ら同療法を中止した。

(三) そして、原告は、同年五月中には四回同医師の診療を受け、同月下旬ころ、同医師に対し、頸部はかなり良くなったが、頸部から背部にかけての凝ったような痛みないし圧迫感がある旨を訴え、これに対し同医師は、右の間、薬物として筋弛緩剤、脳梗塞、脳出血後遺症用剤(セロクラール錠)、鎮痛・抗炎症剤(ロキソニン錠)を投与した。

(四) 原告は、同年六月中には三回同医師の診療を受けているが、原告は同医師に対し、めまい、歩行困難等を訴えており、これに対し同医師は、前月同様の薬物投与をなした。

このように原告は、同年四月一六日から同年六月中旬にかけて木村医師の診療を受けたが、この間の原告の症状は、初診時ころは頭痛、吐き気等を訴え、同年六月ころにはこれらもかなり改善されてはいたものの、薬物服用による効果の面もあり、日によっては頭痛等を強く訴えることもあって、いわゆる波のある状態であった。

なお、原告は、右の間の四月から六月にかけて四〇日(但し、四月は六日、五月は二五日、六月は九日)間河野長生館療院でマッサージ、鍼治療を受け、これにより多少快方に向かった。

(五) ところで、木村医師は被告に対し、同年七月八日付け「原告に関する医学的意見書」で、「同年五月一日以降は投薬のみで軽作業は可能であったと思われる」、「同年六月一七日来院したが、この時点では症状は慢性症状へ移行していると思われる。尚、専門医の所見を求めて下さい。」との医学的所見を述べているところ、証人尋問においては、右の「慢性症状」というのは急性期の疼痛等の症状が消失し、慢性期に移行しているという趣旨を記載したものであって、症状固定という趣旨ではなく、また、右の「軽作業は可能」というのは、デスクワークないし軽い物の移動程度の作業はできるという趣旨を記載したものである旨の、そして、原告の同年六月上旬の症状につき、未だ治療の必要があった旨の各証言をしている。

(六) 原告が木村病院において診療を受けていた間の原告の勤務状況は、同年五月中旬ころまでは横になって療養しなければならない状態であったが、同月下旬ころからは多少家事をすることができるようになったものの、未だ出勤できる状態ではなかったので、同年四月一六日から同年五月末日まで欠勤し、そして、同年六月一日から木村医師の勧めもあったことから出勤し、調理作業に従事することとなった。しかし、原告は、当初は二時間勤務としたものの、頭部、目、肩甲骨の痛みがあったり、二日目ころには、勤務中、全身の震えがあったりしたこともあり、勤務終了後、休憩したのち帰宅してそのまま横になるという状況であった。そして、原告は、同年六月八日から勤務時間を四時間に延長してみたものの、苦痛をますます強く感じるようになった。

3  芝病院における診療の経緯

証拠(〈証拠・人証略〉)によると、次の事実を認めることができる。

原告は、前述のとおり、昭和六二年六月一六日から渡辺医師の診療を受けるようになったが、その後の原告の症状、診療経緯は、次のとおりである。

(一) 昭和六二年六月一六日

初診時原告は渡辺医師に対し、右側の項、後部項から背部及び腰にかけて詰まったような痛みがあり、これが作業をすると強くなること、食欲不振、睡眠障害があることを訴え、同医師は、原告の初診時の傷病名を沖野及び木村各医師と同様に頭頸部外傷と診断し、他覚的症状として右側後部項、頸部、背部、肩甲骨の周辺にかけてのかなり広範な部分に筋肉の硬結と圧痛及び頸椎の軽度の運動制限を認めた。そして、同医師は原告に対し、頭部圧迫試験(ヘッドコンプテスト)を実施したところマイナスであったが、業務、家事労働を軽減するように療養の指導をなし、治療として温熱療法、マッサージを施し、薬物として筋弛緩剤(サイノル錠)、湿布薬(ドリース)を投与した。

なお、渡辺医師は、原告の症状は同年六月一日から出勤するようになったことによって快方に向かっていたのが悪化したと判断し、更に一か月間の休業通院加療を要するものの、リハビリ的な意味での出勤は可能と診断した。

(二) 同月二三日

争点となっている本件診療行為のなされた日である。

当日なした握力検査の結果は、右が二二キログラム、左が一七キログラムであり、背筋力測定の結果は、二九キログラムであった(標準値は、握力が約三〇キログラム、背筋力が約八〇キログラムであるので、明らかな低下が認められた。)。薬物として前回と同様のものが投与され、そして、療養指導、徒手筋力テスト、機械器具による運動療法が施された。

(三) 同年七月七日

所見上頸椎運動制限はなく、知覚にも異常はなく、頸椎症性変化も認められなかった。また、頸椎のレントゲン写真撮影からも特に異常は認められなかった。

治療としては温熱療法、マッサージ、ストレッチ体操が施され、薬物として前回と同様のものが投与された。 なお、渡辺医師は原告に対し、原告が同月三日から体調が悪く、半日勤務した後に二時間ほどボーッとしている旨を訴えたため、無理のない出勤をするように指示し、そして、診断書にも「更に一か月間の休業加療を要します(リハビリ出勤は少し程度をおとして実施して下さい。)」と記載した。

(四) 同月二一日

原告は、頭痛と悪心を訴えたので、渡辺医師は、この症状は出勤するようになったことが原因であると判断した。そして、右側の後頭部、頸部及び背部にかけて温熱療法(ホットパック、マイクロテラピー)を施し、薬物として消炎鎮痛剤(バキソカプセル、クリノリル錠)を投与した。

(五) 同月二五日

脳波検査を実施し(この検査結果は同年八月四日に判明)、温熱療法を施した。

(六) 同月三一日

他の病院に依頼してCTスキャン実施したところ、異常は認められなかった。

(七) 同年八月四日

右七月二五日に実施した脳波検査の結果からは異常が認められなかった。

温熱療法が施され、薬物として精神神経用剤、消炎鎮痛剤、解熱鎮痛剤が投与された。

(八) 同月一一日

頭部圧迫試験(ヘッドコンプテスト)を実施したところ陽性であったことから、渡辺医師は、頸椎椎間板傷害との診断をなした。そして、温熱療法が施され、薬物として精神神経用剤、解熱鎮痛剤、湿布剤が投与された。

(九) 同月二五日

温熱療法が施された。

なお、原告は渡辺医師に対し、頭痛が改善された旨を述べた。

(一〇) 同年九月八日

原告は渡辺医師に対し、右項部痛、頭痛と右腕が重いことを訴え、これに対し同医師は、温熱療法を施した。

(一一) 同月二二日

原告は渡辺医師に対し、右腕が重く感じることを訴え、頭痛、悪心は改善され消失したことを述べた。

頭部圧迫試験の結果は陽性であり、温熱療法が施された。

(一二) 同年一〇月六日

握力検査と背筋力検査を実施したところ、握力は右が二四キログラム、左が一七キログラムであり、背筋力は七〇キログラムであった。

この検査結果について渡辺医師は、前回の検査結果と比較してかなり改善されたと判断し、このことは原告の筋肉の凝り、痛みの改善とほぼ相関していると考えた。

療養指導、徒手筋力テスト、温熱療法、パラフィン浴、機械器具による運動療法が施され、薬物として湿布剤が投与された。

(一三) 同月二〇日

原告は渡辺医師に対し、右項部に痛みがあり、同月一九日から八時間勤務をしているが、働きすぎて悪心がある旨を訴え、温熱療法が施され、薬物として湿布剤が投与された。

なお、前記認定のとおり、初診時には右側の後部項等のかなり広範な部分に筋肉の硬結、圧痛が認められたが、これらの範囲がかなり縮小していた。

(一四) 同月二七日から昭和六三年二月九日まで

原告は、右の間、七回に亘り渡辺医師の診療を受けたが、この間の治療方法は主に温熱療法であり、薬物としては湿布剤が投与された。

原告は、昭和六二年一二月八日には字を書き続けていると右頸腕に痛みがある旨、昭和六三年二月九日には通常の勤務では格別異常がないが、仕事をすると右腕の痛みが増す旨訴えている。

(一五) 昭和六三年三月から平成元年二月二日まで

原告は、右の間、二二回に亘り渡辺医師の診療を受けているが、この間の主な治療方法は温熱療法であり、薬物としては主に湿布剤が投与されており、この間、原告は、右上肢脱力感、右肩甲部の詰まるような感じがある旨を訴えたり(昭和六三年三月一六日)、頭部痛を訴えたり(同月三〇日、同年七月一八日)、項部痛(同年七月一八日、同年一一月二一日)、頸部痛(同年八月三日、同年九月一九日、同年一〇月一九日、同年一〇月七日)を訴えたりしている。

なお、右の間の昭和六三年六月二七日実施の頭部圧迫試験の結果はマイナスであった。

(一六) 原告の渡辺医師の診療を受けていた間の出勤状況は、原告は、欠勤をすると職場に復帰することが困難になると考え、無理をしながら、四時間勤務に就いていたものの、体調がすぐれないことから昭和六二年七月二〇日からはほぼ隔日勤務をするようになり、同年八月から同月二五日までは長期休暇を取得して療養に専念し、このため症状が改善されたので、同月二六日から出勤して四時間勤務をするようになり、そして、同年一〇月からは六時間勤務を、同月一九日からは体調が回復したので全日勤務をするようになった。

二  本件診療行為時の原告の病状

前記認定した事実によると、本件被災事故による原告の傷病名は頭頸部外傷(後頭部打撲及び頸椎捻挫)と認められるところ、本件診療行為時までの自覚症状は、主に頭痛が継続していたことのほか、右側の項、後部項から背中及び腰部にかけての詰まったような痛み等多種多様であり、他方、他覚所見は、昭和六二年三月三日ころ実施した腰椎穿刺及び髄液検査では異常は認められず、同年六月一六日実施の頭部圧迫試験結果はマイナスであったが、同日、右側後部項、頸部、背部、肩甲骨の周辺にかけてかなりの広範に筋肉の硬結と圧痛及び頸椎の経度の運動制限が認められ、同月二三日実施の握力及び背筋力検査結果は、握力は右が二二キログラム、左が一七キログラム、背筋力は二九キログラムで標準と比較して明らかな低下が認められたというのである。

このように原告の本件診療行為時における病状は、右後部項等から肩甲骨の周辺にかけてかなりの広範な部分に筋肉の硬結と圧痛及び頸椎の軽度の運動制限を認め、握力及び背筋力の明らかな低下が認められたものの、その他の多覚所見では異常が認められず、専ら自覚症状として頭痛等を訴えていたのみであったというのであるが、原告も職場復帰のため療養に専念していたことも前記認定のとおりであり、医学上も頸椎捻挫の症状として頸部痛のほか多種多様の症状を訴えるというのである(〈証拠略〉)から、原告の右訴えを単なる心因性によるものと断定することは相当でない。

ところで、右後頭部打撲及び頸椎捻挫(あるいは頭頸部捻挫)の頸椎捻挫の治癒に至るまでの経緯については、一般的には次のようにいうことができる。

すなわち、右治癒に至るまでの経緯を急性期と慢性期とに大別することができ、脱臼や著明な角質変形をともなわない本件のような軟部組織の損傷の場合には、頸椎を機能的解剖的に正常な位置に保持した状態で頸椎を安静に保ち、軟部組織の修復を待つこととなり、この軟部組織がほぼ修復されるまでの期間が急性期に相当し、これは概ね受傷から三週間の期間であり、三ないし四週間を経過すると慢性期に入るということができるので、原告の場合も昭和六二年三月末、最大限にみても約三か月後の同年五月末には慢性期に入ったこととなる(〈証拠・人証略〉)。

木村医師も同年七月八日付け「原告に関する医学的意見書」において、原告は「昭和六二年六月一七日時点では慢性症状へ移行していると思われる。尚、専門医の所見を求めて下さい。」と記載し、原告については同年六月一七日には急性期の疼痛等の症状が消失し、慢性期に移行した旨の所見をなしており、この点でも右一般的治癒の経緯に符合している。このようなことから被告は本件不支給決定処分をなしたのであり、この限りにおいて被告の判断は一応医学的な根拠を有するということができる。

ところで、地公災法における療養補償の支給対象となるのは必要な療養に限られ(同法二六条)、傷病が治癒した場合にはこの支給対象とならないと解されるところ、この治癒とは、傷病に対してなされる一般的に承認された治療方法をもってしても、その効果が期待できない状態でかつ、残存する症状が自然的経過によって到達すると認められる最終の状態に達したときをいうと解すべきところ(原告の主張する治癒概念は、被告の主張するとおり、被災職員に職場に復帰できない程度の後遺症が残存する限り当該被災職員は永久に治癒しないこととなるので相当でない。)、右に検討したところからすると、原告の場合にあっては、本件診療行為時に既に治癒状態にあったのではないかとも考えられる。

しかしながら、前述した頸椎捻挫の治癒に至る経緯はあくまで一般的なことであって、この経緯は個々的に異なるものであり(〈人証略〉)、昭和六二年六月一六日に原告を診察した渡辺医師は、他覚的症状として右側後部項、頸部、背部、肩甲骨の周辺にかけてかなり広範な部分に筋肉の硬結と圧痛及び頸椎の軽度の運動制限を認めており、原告の症状は、原告が同年六月一日から出勤したことによって悪化したと判断して、以後前記認定した各種の治療を施している。

そして、前述のとおり本件診療行為日実施の握力及び背筋力検査結果からも握力及び背筋力の明らかな低下が認められており、同年七月七日実施の頸椎レントゲン写真撮影、同月二五日実施の脳波検査、同月三一日実施のCTスキャンではいずれも異常が認められなかったものの、同年八月一一日実施の頭部圧迫試験では陽性で頸椎椎間板傷害が認められ、同月二二日実施の頭部圧迫試験も陽性であったが、同年一〇月六日実施の握力及び背筋力テストではかなりの改善が認められ、前述の右側の後部項等広範な部分の筋肉の硬結、圧痛も同年一〇月二〇日には範囲がかなり縮小しており、また、頭痛も同年八月二五日には改善されており、原告の勤務状況も同年六月当時四時間の勤務に就くことがかなり苦痛であったのが同年一〇月一九日からは正常勤務に復帰することができたし、昭和六三年六月二七日実施の頭部圧迫試験はマイナスであったというのである。

そして、原告の診療に直接携わった木村医師は、原告の昭和六二年六月ころの症状は固定しておらず、未だ治療の必要があった旨の判断をしており、渡辺医師も、本件診療行為時の原告の病状について改善されつつあるものの、未だ治癒状態ではなかった旨の証言をしている。

被告は、地公災法上の治癒の概念と医学上の治癒の概念とは異なる旨を強調するところ、当裁判所もこれに特段異論はないが、医学に関しての専門家の判断、特に争点となっている本件診療行為当時に診療に直接携わっていた医師の判断はそれなりに重きがあるというべきである。

このようにみてくると、本件診療行為時の原告の傷病は、本件被災事故後約四か月近く経過していたことから一般的には既に治癒状態にあったと判断され、この判断は経験則上からも是認できないわけではないが、本件にあっては特段の事情、すなわち、慢性症状に移行していたかあるいは移行しつつあったということはできるものの、なお、医療行為を必要とし、この効果をも期待することができる状況にあったと認めるのが相当であったというべきである。

以上のとおりであるから、本件診療行為は治療行為としてその必要があったのであるから、この必要性を欠くとしてなされた本件不支給決定処分は治癒認定の点において判断を誤ったものとして違法であるというべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 林豊 裁判官 合田智子 裁判官 蓮井俊治)

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